武道の振興・普及

宮崎県武道館で教育文化講演会を開催

基調講演講師

 平成24年度4回目を迎えた教育文化講演会は、テーマを「『道徳心』と武道教育-たおやめぶり-」とし、基調講演講師に宗教学者の山折哲雄氏を迎え、さらに同氏にパネラーを加え「日本の道徳を考える」のテーマでディスカッションを行った。
 この事業は、“日本人の心のふるさと、日本の国柄を考える”の統一テーマにそって 1回目は「武士道~惻隠の心」、2回目は「外国人から見た武士道」、3回目は「『心の基礎』をつくるためには何が必要か」と実施し、前回は、特に青少年の心の成分の考察から、その涵養・育成に武道がどのような効果をもつかを検討したが、今回はわが国の歴史の中で“心”がどのように醸成され、育まれ、その中で如何なる道徳を培ってきたか、武道はそこにどう貢献できるかを多面的に問う内容となった。
 基調講演には、宗教学者・評論家で、執筆に、講演に、テレビ出演に多忙な山折哲雄氏が登壇、その後同氏に、葉隠研究者の大園隆二郎氏(佐賀市文化財保護審議会委員)、宮元章次氏(宮崎公立大学人文学部教授 体育学博士)がパネラーとして加わり、三藤芳生氏((財)日本武道館理事・事務局長 日本武道学会副会長)がコーディネーターを務め、パネルディスカッションを行った後、フロア参加者と意見を交わし12:30終了した。

   主催 (財)宮崎県スポーツ施設協会、(財)日本武道館、全国都道府県立武道館
   協
   議会、宮崎県公立武道館協議会
   後援 宮崎県教育委員会、(公財)宮崎県体育協会、宮崎県武道協議会、宮崎県市町
   村
   教育委員会連合会、宮崎日日新聞社ほかマスコミ各社
   期日 平成24年11月11日(日)
   場所 宮崎県武道館(宮崎市大字熊野2206-1)
   参加者 約50人

 当日はあいにくの小雨模様の上、また折から各競技の中学校県大会等も数多く開催されたため、当会への聴講者の出足は鈍く、過去最も少ない参加者となった。
女性司会者が進行する中始まった開会行事では、主催者挨拶に立った堀之内砂男宮崎県武道協議会会長が、「敗戦後60年、正力松太郎先生の悲願からでも40年が経過し、やっと義務教育の中学校で武道が必修正課となった。今日は少し参加者が少ないが、少数精鋭で勉強したい」と述べた。
その後出席者紹介を経て開会行事を終えると、司会者から簡単なプロフィール紹介を挟んで、山折哲雄氏による基調講演が始まった。

私は、現在京都に住んで20年になりますが、出身は岩手県花巻、実家は浄土真宗西本願寺派末寺で、100mと離れていないところに宮沢賢治の生家があり、両親を含め交流があり、私も賢治の人と文学に子供のころから親しんできました。
今日は私なりの武道観を“たおやめぶり”という窓を通して語りたいと思います。
武道には「ますらおぶり」「たおやめぶり」の二側面があり、この二者は不離不即、不可分の関係でしょう。今日はたおやめぶりの方を通して日本武道の問題、可能性を前・後半2つずつ事例を挙げてお話しします。

フェアプレーと決闘

古来決闘、格闘はたくさんあるでしょうが、何と言っても巌流島の決闘がその始まりで、また様々な本質を浮かび上がらせています。長い刀で燕返しの佐々木小次郎が、木刀二刀を提げた宮本武蔵に負けた、あの戦いであります。
戦後、国民歌人斉藤茂吉がこれに関する批判的エッセーを書きました。宮本武蔵は卑怯者だ、決闘の場に遅れてきたのは重大なルール違反だ、木刀2本というのも同じくルール違反だ、武蔵は決闘のフェアプレー精神を忘れているという訳です。「フェアプレー」という言葉を使い、いかにも戦後の空気を感じさせる内容です。私はある衝撃をもって読み終えました。すぐに反論が、芥川賞を創設し文藝春秋を創立した菊池寛から出ました。武蔵は強い、無双だ、それを巌流島の一件が証明した、おまえはものを知らない。茂吉は逆上して再反論しましたが、そのままになり決着は付かなかったですね。
私は心情的には菊池側です。戦後はこのフェアプレーというものに覆われていて、こんにちまで基調は変わらないと思います。それの現代武道に与えた影響ということはここでは措いておきます。
これは戦後ハリウッド映画が多く輸入・上映され、そこには「真昼の決闘」、「荒野の決闘」など「決闘もの」が多かった、それの影響でしょうか。
西部の荒くれ者が、面と向かって互いの拳銃を見せ合い、トリックなど無いことを確認し、背を向けて10歩、20歩歩いて同時に振り向いて撃つ。勝負がつく。正にアメリカ民主主義的決闘と言えます。ゲーリー・クーパーの「真昼の決闘」はそれと違って荒くれ者数人を1人で迎え撃ち倒す内容です。
ほぼ同時期、日本の黒澤明監督が「用心棒」という作品を作ってハリウッドに反旗を翻します。
異なる集団に雇われた用心棒、片や短刀を懐に忍ばせた三船敏郎、片やピストルを懐に忍ばせた仲代達矢、いつか勝負は短刀対ピストルになり、遠い距離ならピストルが有利でしょうが、黒澤はこれを近づけるんです。心理戦になり、仲代はそれに負け、ピストルが撃てない。ここが勝負の醍醐味で面白いところです。三船が仲代の懐に跳び込んで斬り、短刀が勝ちます。黒澤はハリウッドに反逆、抵抗したのでしょう。反対に「荒野の決闘」は黒澤の「七人の侍」を模倣し、日米で相互影響関係にあります。
ここに決闘とは何か、武道とは何か、スポーツとは何かに関する戦後の問題が全て出揃っています。
ルールに基づいてフェアプレーの精神でやるか、それとも小よく大を制す-嘗ての講道館柔道の途ですね-でいくか、そこに決闘、格闘の面白さがあり、故に多くの日本人に関心を持たれてきたんです。いつの間にかフェアプレー一色で近代スポーツの勢いに負けていく。武道における技と技の出し方、決闘の命がけの工夫、知恵、これが評価されなくなっているんです。日本人のスポーツ好きは「用心棒」「真昼の決闘」が大好きなんです。フェアプレーもいいが何といっても好きなのは菊池寛なんです、武蔵は強いんだ、この興味を引きつけないと武道に未来はありませんね。その究極の魅力は何かというと、人間の野性的エネルギーに対する尽きせぬ関心です、それを支えるのは快楽、見る事の快楽、これを無視したら魅力を失っていきます。それで道徳のモデルとして考えようとしても、大衆の関心を失っていくでしょう。フェアプレーか否かを巡る武道の議論では道徳教育の教材として限界があり、それに頼っていては観念的議論に終わってしまう。今、世間にこの傾向が非常に強いと感じ、これでは益々武道離れに歯止めがかからないと思います。その上更に道徳教育という覆いをかぶせると警戒されてしまう。問題は、どうしたら若い世代、普通の大人たちに魅力ある道徳教育の問題提起ができるかということですが、それは私にも判らない。日々その重要性を感じ、武道が表現している様々な事から学ぶことが大切だと思いながら、そこが突破できない。どうもそこに限界を覚えますね。

千葉周作のこと

江戸末期、優れた剣士の一人に千葉周作という人がおりました。私が岩手出身ということもあり取り上げるのですが、盛岡藩馬医者の倅に生まれ、江戸に出て修業の後諸国遍歴を経て北辰一刀流を興し、弟子が3,000人を数えたと言われますからよほど剣の道の教え方が上手かったのでしょう。神田お玉が池に道場を開き坂本竜馬も入門し修業しました。千葉というのは相当の使い手であったようですが、司馬遼太郎の中編小説に、その剣士としての波乱万丈の生涯を描いた「北斗の人」という作品があります。その終りの方に「一夜秘伝」という話が出て来ます。ご存知の方も多いと思いますが、司馬さんが日本武道の一瞬の輝きとして後世に残すべき話としてこの最後に置いたものでしょう。千葉が死ぬ前年61歳の時に、お玉が池の道場で病に臥せっていると客が1人とびこんでくる。さる大藩の茶坊主-茶坊主というのは外交折衝から雑事までを取り仕切って来た坊主の頭ですが-だった。その者が言うには、自分は主家の仕事のために護持院ヶ原にやってきた。護持院ヶ原というのは、駿河台近くにあり、森鴎外にも「護持院原の敵討」という名作がありますが、そこは決闘や仇討が行われた場所の様です。そこで辻斬りに遭う。するとこの茶坊主、相当胆の坐った男だったようで、「今は主君の大事な用があり届け物をしなければならない。それが終わったらまた戻ってくるから、そうしたら斬られよう」と言った。辻斬りはその男の提灯の定紋を見、どこの藩かを知り、まちがいないと判断し、「逃げたら江戸中に噂を流すぞ」と言い含め放します。それでその茶坊主は用を果たしたあと、名高い千葉の所へ来て、事情を話し「綺麗に斬られたい、見苦しくなく死にたい」とその方法を教えて欲しいと頼みに来た。病床の千葉は黙って聞いていましたが、感動し、立ち上がり、枕頭の大刀を抜き、その男に持たせます。そして、「大上段に振りかぶり、足を半歩開き、背筋を伸ばし、呼吸を整え、目をつぶれ。体のどこかに冷たいものを感じた時、あなたは綺麗に死んでいるよ」と教えます。とても実話とは思えませんが、事柄の真を衝く何かがありますね。そしてその男は教えられたとおり、大刀を振りかぶり、足を半歩引き、背筋を伸ばし、呼吸を整え、目をつぶる。一刻、二刻時が経ち、辻斬りは“これは凄い使い手だ”と感服して逃げた。危機に際して、いっぺんおやりになっては如何ですか。昔、これはどこかで使えると思い読んだ覚えがあります。司馬さんの地の文がとても良いんです。何故辻斬りは茶坊主を使い手だと思ったのか、誤認したか、誤解したか、本質を見抜いたかは不明だが、しかし茶坊主は死の覚悟をした。死を覚悟した者が形を整えた時、練達の剣士が一生かかって到達すべき境地に瞬時に達したというのが司馬さんの解釈で、本当かなと思わせる一方で、死の覚悟というのはそういうものかもしれないとも思わせますね。これは剣の極意というに止まらず、人の危機に対処する究極の生き方というものが此処にあるぞと司馬さんは密かに言いたかったのかもしれない。人間の道ですよね。それが背後にあるから剣の極意という言葉も自然に出てくる、そういう関係性なのかなと思います。
この場面を私なりに解釈すると、この時茶坊主は無心(私)の境地だった。普通の人間ではなかなか到達できず、皆それを目指して日々苦しい稽古を続けている訳で、武道のみならず一線級のスポーツ選手、オンリーワンほどのアスリートならばみな同じ経験をしているでしょう。普遍的な生き方、その究極を示している様な姿です。それを大和言葉で表現すると「無心」としか言いようが無い。日本人の心の探求は常に無心を目指していました。今、「心の時代」と言われますが、そこで言う心とは実は裸の心なんですね。伝統的には上に何か付きました。道徳心、愛国心、宗教心など、目的、手段が明確でした。心が裸になっている、これは近代教育の問題点の1つだろうと思いますね。
日本人の1,000年に亘る心の追究を見てみると、古事記は「清き、明き心」といいました。「清明」心と形容詞が付き、限定している。ただの心じゃない。仏教が入ってくると最澄は「道心」と言った。悟り、道を求める心。同時代の空海は「十住心」といい、心に十の段階があり、一番低い段階から鍛えていって、第十の心が一番優れている、これぞ真言密教の心であると言っている。中世になると明恵上人が「菩提心」。これも日本人には馴染のある言葉ですが、菩提すなわち悟りを求める心のこと。親鸞、法然は何と言ったか、「深(じん)心(しん)」と言った。道元は「身心脱落」、体と心の関係が大切と説いた。15世紀になると世阿弥が「初心忘るべからず」と言った。初心という言葉を世阿弥は多義的に使っていますが、世に出ていく時の心がけを忘れるなと戒めています。
「初心」とは遡ると、インドの天文学に至ります。月が1日の細い三日月の新月から15日の満月まで満ちてくる。それを白分、黒分といい、その白分の姿を初心と言った。月を見て悟りを得る、月を見て剣の道を求める、そういう話がたくさんありますが、ここからきています。芸道、武道に世阿弥が定着させたと思います。
日本の歴史とは、精神史、思想史、宗教史みなこの「心の探求」だと判る。その探求の果てに、「無私」「無心」ということが出てくる。初心とは無心に限りなく近づくことである。近世、夏目漱石も最終晩年は「則天去私」といっています。小説「明暗」で近代人のエゴイズムを突き詰めた彼は最後この世界から自分を解放しよう、逃れたいと思って、「則天去私」に至ります。天に則り私を去る、つまり無心ということです。あの一夜秘伝の茶坊主が到達した境地と大変近いのです。
で、そういう漱石が実際に何をやっていたかというと、午前中小説を書き、午後は絵を描いたり、詩を書き俳句を読み、つまり芸術の世界に遊んだのです。激しい厳しい修業、研鑽のあと、ふと逃れていく世界が芸術、美の世界。美しくなければいけないという考え方。信仰と美、宗教と芸術は一体だというのが日本の伝統です。そしてその思想家、体現者が、西行、芭蕉、良寛で、日本の究極的、理想的生き方のモデルと言えます。心を問うのならばここが重要だと思うようになった。その上で、宮本武蔵や塚原卜伝と比較してみる、そういう相対化、自己批判が武道には必要だろうと思います。
いま、若者にとっては漫画やインターネットでしょう。先日中国に行きましたが、少林寺に何百、何千の子供たちが群がって、実に楽しそうに、嬉々として演武をしている。来日もして演武をし、大喝采を浴び大評判をとっているじゃありませんか。私にはAKB48などより、よっぽど迫力があって面白い。そういうことにも目を開いていかないといけない。
ロビン・フッド、孫悟空、猿とび佐助など子供たちを惹きつけるには物語が必要で、それとさきほどお話した伝統的な心の探求とを結び付けないといけない。そういう複眼的な立場・見方からの道徳教育への架橋が大事だろう。

浅田真央の演技

私がこの間のロンドン五輪でも、他大会でも注目しているのは、フィギュア・スケートで、それは世界のトップにランキングされる実力を持っているからです。
浅田真央の演技は天下一品だと思います。ランクがどれほどだ、順位が何位だなんて関係ない。浅田の演技は水準が上、質が違う。
世界的レベルの選手たちが表現する身体は、小動物に近づきます。鳥、魚、鶴、鷲、豹そういう動物のしなやかな動きに近づく。丁度新幹線がカワセミをモデル化した様なものです。ヨーロッパのテクノロジーはこの小動物へ至ります。その美しさ、その凄さはオリンピックのどの競技でも印象付けられます。水泳など見ていても見事だな、魚!という感じですね。柔道は豹と豹の争いだね。野生剥き出しの表情が出てくるじゃありませんか。格闘技の究極はその野生を如何に飼いならして美的なものにするか。あからさまに野生剥き出しの表情が出るようではまだB級、C級だろう、日本のマスコミは手放しで褒め称えている。そのことに未だ日本のスポーツ界、武道界は気が付いていない。勝ってガッツポーズをする。それと浅田の身体シュプールは全然違う。あの表現からは雲の動き、川のせせらぎの音、鳥のさえずりの声を感じる。脱生物、脱動物、自然そのものを表わしている、「行雲流水」と言うじゃありませんか。これは元々禅の言葉ですが、剣の達人たちが目指したものと全く同じでもあります。そこが決定的に違う。浅田の演技をこれからの武道がどう取り入れていくか、テクノロジー社会がわれわれの日常にどう生かしていくか、企業のイノベーションという観点からも重要だと思います。私は最近そういうことを考えています。風とか雲とか川の流れを人が表現するにはどういう修練、心がけがいるか、無私、無心の境地に出来るだけ近づくしかないが、それは至難の業です。あの浅田の演技の凄さ、水準の高さあれは武道、格闘技が学ぶべき重要なモデルの少なくとも1つになるだろう。
ただ教育システムとして子にどう教えていくかと言ったら、これはほとんど不可能です。
誰でも浅田真央になれるわけではない。武道の技術にしても、思想にしても天才が出てきて社会を率いていく、そういう関係性ですよね。そこからリーダー教育が必要だと言われてくるわけですが、リーダー教育から天才は出て来ない。私はこれに関する議論は全て無駄だと思っています。単なる小理屈に過ぎない。やはり武蔵や浅田のような天才が出て来ないとだめでしょう。柔道の山下泰裕さんも全体の水準を引き上げた重要な人物だと思います。剣道に、弓道にそういう天才はいるでしょうか。山下1人でも出ればそれに全体が引きずられていくということはあるでしょう。
さて、そこで最初の「道徳教育に対して武道、武士道はどういう貢献をなすべきか」ですが、「巌流島」の問題を教え切れないように、これも至難の業です。今の若者に無心を目指せと言ったって、戦後60年民主主義教育が3世代に亘り定着してしまった。それを根底から覆すなど出来るものではない。ではどうするか。それを最後に考えたいと思います。

「無心」と「残心」の比較を通して

私は10年前まで京都にある国際日本文化研究センターに在籍し、最後の4年は所長を務めました。その時、助手を選考するのに世界公募し、ニュージーランド出身のアレキサンダー・ベネットという男を採用しました。彼は来日し京都大学で武士道研究により学位を取得した男で、千葉で剣道の血のにじむような修業をしております。他になぎなたなどもやったようで、文句無しに採用しました。国際会議などがあると必ず彼を連れていき、見事な通訳をしてくれました。日本人以上にいい日本語を使います。その彼から、私は剣道、弓道で言われる「残心」ということを教わりました。武道ですから実戦の世界で究極は殺し合いの決闘に行きつきますが、一刀振り下ろしてさっと身を退いて余裕のある体勢をとる。危機を脱したら次の危機に対応できるような身体空間を確保しておくということですよね。彼はその後、具体例を色々語ってくれまして、私はなるほどなと聞いておりました。後日、日本武道館の出している雑誌「月刊武道」に投稿したことなんですが、ベネット君の言う「残心」と先程司馬遼太郎「北斗の人」一夜秘伝に出てくる茶坊主の「無心」、それを比較してそれぞれを考えなくてはいけないだろうと思いました。それは全てのスポーツ、格闘技、武道その本質を考える上で非常に重要な問題だろう。日本武道でもこの「残心」というのが問われ始めているとベネット君は言っていました、彼は日本人以上に武道の精神を掴んでいる男ですから。が、私はそのまま認めるわけにはいかない。日本には「無心」という伝統がありますからね。この「無心」と「残心」をどう考えるかを彼に私が差しだしている問いであります。
違いは、「残心」は、究極的には生き残ることが重要な目的でしょう。生き残るための技術、心境です。心を残すんですから、最後に勝つため、或いは勝てないまでも負けないためです。それ以上には行かない。「無心」は死を覚悟しており、レベルが違う。「無心」をもう少し掘り下げていくと、それは負けて死ぬことを覚悟しているでしょう。此処は難しい所で私も言いにくいのですが、勝負に負けても殺されることを覚悟していたらそれは人の生き方としては単なる敗北じゃないという世界。殺されることを覚悟して負けたら、これは負けかというと判断が難しいところです。
それで此処から何が出てくるかというと、敗者、劣者、弱者に対する深い思いです。「残心」からも出てくるかもしれないが、「無心」からの方が容易ではないかというのが私の予想です。武道でもこの敗者、劣者、弱者に対する思いやりというのが、重要になると思います。日本も世界も格差、差別、歪みが色々な局面で出ている。そこに武道が目指した境地が敗者、劣者、弱者に対する思いやりを引き起こす契機の一つになるんだよと言えば、これは若い世代にも理解できる。行き詰っているかに見える武道をブレイクスルーする通路にもなるだろう。そしていち早くこの点に着目していたのが、新渡戸稲造です。彼の“Bushido”は、明治時代英文で書かれ、世界の人々に日本人の道徳観、宗教観の根底は武士道だと告げた書物です。その中でもとくに彼が力を入れていると思われる箇所が中間あたりにある「仁」を取り上げたところです。仁義礼智信、儒教の徳目の筆頭に挙げられるあの「仁」ですが、中国の儒教道徳と意味が違うと言っている。その究極は敗者、劣者、弱者に対する深い思いやりであるとはっきり書いている。日本の武士道研究者の中には、文献学的に新渡戸の武士道を否定する人もいて、歴史的武士道研究には邪魔だとさえ言うが、それは違う。武士道だって変化するので不易流行の考え方に立って、あの明治の近代国家建設の過程で国際社会に訴える時、新渡戸が取り上げたのがあの部分だった。こんにちこの考え方は益々必要性を増しているでしょう。
武道と道徳を結びつけるのは色々限界があるが、その通路が無い訳ではないと問題提起をして私の話を終えたいと思います。

~日本の道徳を考える~

 暫時休憩をはさんだ後、会場正面に、逆V字型に向かいあうよう右に山折、大園、宮元各先生、左に司会・コーディネータの三藤氏が坐り、10:35にパネルディスカッションが始まった。
三藤:これからの話し合いは約90分を予定しています。進め方は、3つのテーマ、「日本人と道徳」「武道と道徳心」「道徳心を育てるには」に沿って出席各人にお一人5分くらいずつお話を戴き、その後聴講の皆さんと質疑応答するという形態で考えております。
 いま、山折先生のお話しで、武道はしっかり鍛える「ますらおぶり」があって、そののち仁即ち敗者、劣者、弱者への思いやり「たおやめぶり」が重要で、武道と道徳の可能性もそこにあるのではないかとのお話しでした。
 振り返りますと、昔の宣教師たちの報告にも「日本人は貧しいが道徳心のある素晴らしい国民だ」との記述があり、いつもわれわれは自分たちの事を外人に教えられており、去る3月11日の震災の時も海外プレスから、あれだけの災害に遭ったにも拘わらず事態を受け入れ、水や食料を奪い合うこともせず、整然と並んで配給を受けていると評価されました。一方隣国では、領土を巡る問題で何の落ち度もない日本企業が焼き討ちに遭うようなこともありました。
 通常このような場では、出席者相互に討論、議論を交わし、面白い化学反応なども生まれますが、今日は時間の関係で各位よりお話しを戴き、有意義な時間としたいと考えます。
 まずはじめは「日本人と道徳」というテーマです。山折先生は昨年3月11日の震災の折、NHKのETV特集で被災地に入られ、いち早くレポートをされています。宗教、文化、歴史的視点からお話しを戴ければと思います。
山折: 今、お話しの通り、日本のどこで災害が起きても、被災地の人々の表情は穏やかで、行動は冷静、思いやりにあふれ、例外も無い訳ではありませんが、大体助け合っているのが目立ち、それが内外のメディアから称賛されました。東北だけではなく、阪神・淡路の時もそうでした。対してアメリカのハリケーン、スマトラの津波、中国、トルコの地震それらの映像を通して伝えられる人々の姿は、泣き叫び、全身で不平不満や怒りを表わしていて、非常な対照を示している。これはどうしてだろうと考えると、日本は地震列島で太古の昔から地震と付き合わざるを得なかった中で、無常観を育ててきたと思います。無常の3原則、地上に永遠なものは無い、形あるものは滅ぶ、人は生きて死ぬ、これはどんな人も他の文明圏の人でも否定できない客観的事実として、生活の中で受け入れてきたんです。アメリカ人もヨーロッパ人も、中国やインド人だって受け入れませんよ、こんな無常の3原則なんて。地震と付き合うことで日本人は、宗教心、道徳心を育ててきたのでしょう。地震に逃げ道はありません。死が誰に訪れるか全く不明で、われわれは偶然性の中で生きるしかなく、最近やっと国家も科学者もメディアも地震は予知できないと認めるに至りました。人知を越えた地震と何万年、何十万年と付き合ってきたわれわれが宗教的、倫理的でないとはとても言えない。そういう中でわれわれの宗教観、道徳観が鍛えられてきた筈だというのが私の考え方。それがあの穏和な表情、行動になっているのだと思う。「無常」「無心」「無私」皆関係があり、その「無」ということに大いなる関心を持ってきたのが日本文化の特徴です。九州地方も毎年台風の通り道で、地震と同じ災害ですが、地震と違うのは方向性と季節性の2つの指標から予測可能だということです。人と人との繋がり、ネットワークの中で防災に努めることができる、つまり他人との協力、相互扶助が重要だということを学んできたのです。これだけ、毎年、毎年災害に見舞われて倫理観、道徳観を持たない筈が無く、それに気づいていないだけです。そういう宗教・倫理観がわれわれの中に流れていることを、3.11が改めて教えてくれたといえます。それを今後教育にどう生かしていくかですね。
三藤: 有難うございました。自然災害を蒙って来た中で、日本人の忍耐、倫理・道徳観は醸成されてきたのではないかというお話でした。では大園先生から武士道、特に葉隠研究のお立場からお話しを戴きたいと思います。
大園: 吉野ヶ里遺跡、有田焼の佐賀から参りました。江戸時代、鍋島藩で山本常朝が語る内容を、田代陣基が記録した武道書が「葉隠」です。山本は、藩主死去の際殉死を望みましたが叶わず、隠居し、金立山の麓で7年に亘って語ったことばを編纂したものが「葉隠」です。岩波文庫でも3巻に及び、佐賀のみならず幕府や全国の武士たちのエピソードや生き方も多く語られています。さきほど敗者への心使いという話が出ましたが、葉隠にもこういう話が出てきます。或る人を役人に登用したいが、その人は過去に失敗をしている。なぜそのような者を用いるのかというと、それ故に用いるのだという、一度も過ち無きものは危なく候、つまり一度も失敗をしていない人は危ないからだという話が出てきます。
 さてテーマについてですが、「葉隠」の場合は武士と道徳ということになります。
 武士ですからやはり勇気に関する記述が非常に多いのです。どんな困難をものともせず向かっていく、そして具体的には「勇」とは歯噛み、歯をしっかり食いしばることだとあります。そして勇気には表裏があり、その裏(付け)は慈悲であると書いております。山本には2人の師がいました。儒学を修めた石田一鼎と湛然梁重です。その曹洞宗湛然和尚の影響を若い時に受け、四誓願という葉隠の根本をなすような、生き方を確認する誓いを立て毎日唱えており、その一項にも大慈悲を興して人のため足るべくことというものがありました。葉隠のその部分を見てみましょう。
「湛然和尚平生の示しに…武士は勇気を表にして内心には腹の破るゝほど大慈悲を持たざれば、家業立たざるものなり。…出家は数珠一連にて、槍長刀の中に駈入ること、柔和慈悲心ばかりにて、何として成るべきや。大勇気なくして駈入らるべからず。…よみがへる死人を蹴倒し、地獄の衆生を引き上ぐること、皆勇気の業なり。…武士たる者は、忠と孝とを片荷にし、勇気と慈悲とを片荷にして、二六時中、肩の割入る程荷うてさへ居れば、侍は立つなり。…」(栗原荒野編著『校註葉隠』より引用。以下同様。聞書6-654)
 勇気と慈悲を両面からとらえた所に特色があります。
三藤: 有難うございました。「勇気」というような徳目も裏面からもしっかり読み解くことが肝要だというお話でした。では宮元先生から体育学の見地からお話しを戴きます。
宮元: 宮崎県公立大学の宮元です。専門はハンドボールで、研究分野は運動生理学です。心の中は雑念がいっぱいで居心地悪く坐っております。今日は宜しくお願いします。
 私の大学は1学年200人で、月曜日1限目に私の必修の講義があります。教壇から見ていると、たまに学生が欠伸をしているところなど良く見えます。私も高校の時、授業中に欠伸をし教師から拳骨を貰いました。私はどう考えるかというと、欠伸は運動生理学的に言うと筋肉を動かして私のつまらない話を聞こうという熱心さの現れであるので、もっといい授業をしようと反省します。
 しかし今の学生は姿勢がとても悪い。あの姿勢では90分持ちません。さきほど司馬さんの一夜秘伝の話に、足を半歩開き、姿勢を正し、呼吸を整え…とありましたが、姿勢が正しいと呼吸が整い、自律神経系は副交感神経に傾いていきます。緊張しても呼吸を整えるとアドレナリンを抑えるなどの効果があります。
 以前、ある高校に行ったところ、盛夏暑い中、教頭先生が花に水をやっていました。学校に花を植える事の意味がよく判らなかったのですが、長崎に行って伊藤博文の掛け軸を見たところ、「安静にして後に能く長ず」とありました。そこで、子供の成長のために必要なのだと悟りました。
 武道で指導される姿勢、呼吸は、教育の基本的な部分なのかなと思います。以上です。
三藤: 有難うございました。先生は、欠伸はある種熱心さの表れとして許すが、姿勢の悪さ、これは武道に学ぶところがあるのではないかというお話しでした。
 私は武道学の分野からお話しします。武道は約1,000年以上前、奈良、平安に遡る頃、護身や外敵からの防衛、駆逐排除などを目的に発生し、戦国時代を経て、江戸時代になると武士階級の行政官化とともに、身体技法としての武術は無用になり、文武両道身心の鍛錬法として体系化されました。幕末維新期動乱の担い手たちも下級武士で、さっき山折先生の話に出てきた千葉周作の門に学んだ人も多かったのです。文明開化、西洋化の中で、嘉納治五郎先生により柔術が柔道になり、敗戦後はGHQの指導下、競技として再生しました。このように武道は時代ごとに、世のため、人のため役立ってきました。有用性の無いものは残りません。現代では教育的効果を持つ心身鍛練法として評価されています。
 小笠原流の作法というものがありますが、あれは弓馬術の礼法です。その教えに、「実用」「省略」「美」という3眼目があり、これらは武道全般にも通底すると考えます。「実用」とは現実に役に立つこと、「省略」とは無駄を省く、飾りを捨てること、「美」とは理にかなったものは美しいということです。武道の形もこれを体現したものですし、山折先生の言われる「無心」とも繋がります。現代テクノロジーの、トランジスタラジオやウオークマンなどもそうでしょう。小型化して最後は無くしてしまう。自由になる。これは禅の思想にも繋がるでしょうが、自分が身につけ、自分を解放してくれるのが武道の技です。技として自由を身につける。金は使えばなくなりますが、身に付けた知恵や技は一生使えますし、使うほど高まっていきます。それで今武道が何を教えるかというと、文武両道です。強いのみならず、人として学び、人と仲良くし、悪を懲らし、善をおこなうなどの徳目を有しています。また「真剣さ」「一所懸命」「勇気」など、これらはいずれも武道発祥の言葉です。私たちの道徳の根底には、武道、武士道が流れていると申せます。
 それでは次のテーマ「武道と道徳心」について、山折先生からお話しを戴きたいと思います。
 山折先生は以前、日本武道館発行の「月刊武道」に、日本史では公家、寺家、武家が歴史の節目において重要な役割を果たし文化や社会を紡いできた、また「ますらおぶり」と「たおやめぶり」後者に日本の底力があるということをお書きになっています。
 先生宜しくお願いします。
山折: 4~5年前ですか、大相撲で野球賭博の不祥事が発生し、国技、競技としての大相撲の評価が地に落ちました。あの時、貴闘力が処分されましたが、私は彼のファンでして、彼は平幕優勝しているんです。それで母校に顕彰の意味で優勝額が掲げてあるのですが、それが下ろされたと様々なメディアが報じ、私は、さあ愈々大きな問題になって来たなと思ったが、それっきりでした。当人は相撲界を追放され、浅草近くでちゃんこ屋を始めましたが、従業員に半纏を着せその背中に「反省」と染め抜かせていたそうです。つまり反省していない、抵抗しているんです。私は、額を下ろした教師が何と言って子供に説明したか、保護者は子供たちに何と言って説明するか関心がありました。正に教育は此処から始まる、道徳教育のいいチャンスじゃないのかと思いましたが、日本社会は何も問題にしなかった。メディアも何も言わず、教師も親たちも特に何も言わず、生かさなかった。それまで貴闘力は英雄で、子供たちの模範、モデルとすべき立派な人物として顕彰され、あの事件からは単なる犯罪者になってしまったのか、教師も親も何も言えなかった、教育的課題として取り上げる発言が一切なかったと思いますね。私が思ったのは、論理で説明しても子供たちは納得できないだろうということ、それまで善人だった貴闘力があの事件で悪人になった、善悪二元、二分で処理するのか、こんな非教育的、反道徳的教育はないですね。ではどうしたら道徳教育としては良かったのか、私がその立場に立たされたらどうしたか考えてみたんですが、ここは「武士の情け」といういい言葉があるじゃないですか。情を動かすべきで、正邪善悪の基準など持ち出すべきではなかったんです。それが武士の世界、日本の伝統世界の倫理道徳だった、その一番用いるべき情を日本社会は忘れてしまったんです。それこそが道徳教育の核です。夏目漱石が「草枕」冒頭に「智に働けば角が立つ、情に掉させば流される、意地を通せば窮屈だ」と書き、知、情、意を挙げていますが、流されただけでない情、それが伝統的には「武士の情け」と言われるものです。日本人と道徳心の核を成しているのは、意地でも、論理、言葉でもなく、情というものです。今は「情」と共に表裏一体をなす「義」も失われていると思う。私は60歳を過ぎてから正邪理非善悪で物事を判断することはやめよう、人を評価することはやめようと思うようになりました。義理と人情というと汚れたイメージなので、「義」と「情」で考えようと思いました。その純化が「武士の情け」に行きつくわけです。公家、寺家、武家三者鼎立で日本社会の安定が図られてきた、公家という官僚、寺家という宗教界それをつないだのが武家でこれを支えた「情」が再評価されていくことが必要ではないかと思いました。 三藤:有難うございました。武士の情け、義と情、さきほどの講演にも出てきました弱者への思いやり、たおやめぶりが必要だというお話しでした。では大園先生お願いします。
大園:情という話しで思い起こされるのは、「頼もしきといふは、首尾よき時は入らず、人の落目になり、難儀する時節、くぐり入りて頼もしするが頼もしなり。左様の人必定曲者なり」(聞書1-134)という部分で、「曲者」とは一筋縄ではいかない人というような意味で、人が難儀している時に「くぐり入りて」頼もしい人は曲者で、勇気ある行動はエネルギーを必要とするということだと思いますが、関連があるかと思い取り上げました。
 「武道と道徳心」というテーマに戻ると、「葉隠」には武道、武術に関する記述は多く出てきます。或る老剣術家の言葉として出てくる(聞書1-46)のは、修業の段階についてで、1番下は修業してもものにならない、自分も下手と思い他人も下手と思う、中段階は自分や他人の下手さが判る、上の段階になるとあらゆる技を身につけ、自信が付き、人からも評価され、至らない人を嘆くようになる。これが上手と言われる人である。大方の人々はここまでだという。しかしこの上があり、それは、自分の不足を知り、成就・自慢の念無く、果ての無い道を只管進むことだと。
 次に、槍遣いの名人が今わの際に弟子に残した言葉に、伝えるべきことは全て伝え、漏らしたことは無いが、若し将来弟子をとるようなことになったら毎日竹刀を握れと単純な事を言うのです。(聞書1-83)単純な事に行きついたと言いますか、修業に成就は無いということでしょうか。しかしこの大変な修業を助けてくれる、後押ししてくれるのが志というものです。「名人の上を見聞きて、及ばぬ事と思ふは、ふがいなきことなり。名人も人なり、我も人なり、何しに劣るべきと思ひて、一度打向へば、最早其の道に入りたるなり。十有五にして学に志すところが即ち聖人なり。後に修行して聖人に成り給ふにはあらず。」(聞書1-83)一歩も引かぬ向上心を持てということでしょう。それを維持する上で大切なことが誓願という考えにありますが、3番目のテーマと関わりますのでそこで述べます。
三藤: 有難うございました。先生は前半思いあがりを戒め、謙遜の心を持つこと、後半は志をもつことの大切さを「葉隠」をひもときながら語られました。では宮元先生より、経験に基づく知見を戴きます。
宮元:今、小・中学校の「道徳」の授業ではどんなことを教えているのでしょうか。私の大学には東アジアから留学生がたくさん来ています。道徳の授業でどんなことを教えているかというと、韓国では信号を守るといった社会的ルール、中国では盗んではいけない、弱い人を助けようといった常識的な事、日本では総合学習の時間で、心のノートを活用し乙武洋匡さんの五体不満足、イチロー選手の陰の努力や用具に対する配慮などを取り上げています。中・韓国と違い、日本では自分の大切さや他人への思いやりなどを道徳の時間で教えています。
 私はハンドボールで普段子供たちと接していますが、子に「文武両道」の意味を訊くと、小学生はきょとんとしていますが、中学生になると「勉強もスポーツもできることです」と答えてくれます。「わかりました。では、そういう人がいたら手を挙げてください」というと誰も手を挙げません。それは定義が間違っているからです。文武両道とは陽明学からきています。判ったことが出来るようになることが文武両道の教えなんです。武道には色々な形があると思いますが、その意味や理が判るようになることが文武両道なのではないか。そうすると、指導者は人の大切さ、人への思いやりを伝えて理解させないといけないのかと思っています。
三藤:有難うございました。現場で得た韓国、中国との比較などからお話しを戴きました。
 私から武道の立場でお話しします。
 武道は礼に始まり、礼に終わると言われます。さきほどの小笠原流弓馬術の言葉に照らして言えば、「実用」礼儀正しい人は実用に叶い敵を作りません、「省略」礼儀正しい人は無駄が無く説明が要りません、「美」礼儀正しい人は美しく相手への敬意が表現されます。礼は単なるお辞儀ではなく、例えば道場に入る時の礼は、場、師、仲間に対する尊敬の気持ちの表現です。礼は相手のためばかりでなく、自分のためでもあります。特に激しい闘いや修練の際、興奮の中で動物的な気持ちも出ようとします。その揺れる心をどう制御するか、その自制心が礼の根本です。それを実践する訳です。どんな状況下でも自分を見失わない、激しい興奮の中でも、勝利の絶頂の中でも。だからガッツポーズは見苦しいんです。相手への配慮を欠いていますから。負けてそれに流され受け入れたら本当の負けです。勝負に負けても、自制心を持ってそこから学び、相手から学び、更に強い自分に高めていけたら負けではありません。剣道に「打って反省、打たれて感謝」という言葉があります。打って当った「偶々当った」と反省する、打たれた「自分の足りないところ、及ばないところを教えて貰った」と感謝する。自戒の、礼の一端を示す言葉です。
 ではこの礼をどうやって学ぶか。教える人が必要です。道徳が必要なところは最も道徳が足らないところです。指導者に自覚、覚悟、考えが必要です。人間、自他に対する理解、愛情そういう深い気持ちが礼に発現します。そういう礼を武道は培っていく必要があるだろうと思います。道徳の根本は礼儀正しさという徳目で、その多くの部分を実践できるのではないかと思います。礼儀正しい人は、人の嫌がることをせず、人とにこやかに仲良く振る舞い、これは世界中どこでも通用します。指導者は日常生活で、社会生活でそれを示す必要があり、道場の中だけではだめです。そしてその身につけたものを、正に“Way of life”として武道を修錬し一生をかけて磨き上げていく。
 今は心を開いて語れない時代です。スマートホン、メール、携帯電話みな一人称です、武道は相対の二人称の文化です。礼も相手があって成り立つ。しかし基本的に敵を想定しその闘いの中で、お互いに高め合っていきますから、自分勝手は許されません。勝手な稽古をする者は伸びません。斯かる事も含め、礼儀の徹底ということは、道徳・社会性の涵養に繋がっているということを述べて私の話を終ります。
 では最後のテーマ、道徳心を育てるにはどうしたらいいかについてまた山折先生からお話しを戴きたいと思います。
山折:以前大学で週に1~2回教えておりましたが、14~15年前から講義が講義にならなくなってきました。学生は私語を発し、講師の言うことなど聞いていない。その後静かになったと思ったら携帯電話の時代で、学生は携帯に夢中で講師の言うことなど聞いていない。われわれ高齢の教師も多い時で300人からの学生を階段教室などで教えなければいけないんですが、とてもとても講義にならない。それで、こんなことやってられるかと辞めていった友人もいましたが、辞めるのは敗北で口惜しいなと思ってあることを始めました。
 そのささやかな体験をお話しします。
 階段教室でした。学生数は約200人。「哲学と宗教」という講義でした。
 まず筆記用具をしまわせました。今の学生は小学生の頃から先生の言うことを右から左に書くことに慣れているのでなかなかしまいません。説得させるのに5分くらいかかります。
 次に、さきほどの宮元先生のお話の通り、今の学生はえらく姿勢が悪い。もうめちゃめちゃです。「姿勢を正せ」と言っても正し方が判らない。それで「背筋を伸ばして、顎を引いて…」と教えていきます。何回も繰り返すと次第に形が出来てきて、5分もすると静かになってきます。
 そこを見計らって深呼吸をさせます。その意味がまずわからないから、呼吸には鼻呼吸、喉呼吸、胸呼吸とあって「君らが行っているのは精々喉呼吸だろう」と丹田呼吸を教えます。1,2で吸う、3,4,5,6で吐く、7,8で止める。「吸う―吐く―止める」が深呼吸のリズムと教え、繰り返していると、また姿勢が崩れ、注意する。これを往復やっていると10分くらいかかります。この「吸う―吐く―止める」は五、七、五や七五調の日本人の言葉のリズムなのだ、和歌でも俳諧でもこれに乗っているか否かが相手の心に響くかどうかの境目であり、このリズムを掴むことが重要なのだ、この「吸う―吐く―止める」が日本人の身体、生活、文化のリズムなんだと説明します。ここまでで20分くらいかかっていますかね、ようやく静かになります。
 ここで目をつぶらせますがこれができない。不安なんでしょう、薄眼を開けて、周囲をきょろきょろ見回す。(笑)黙想の経験なんてないし、黙祷なども風化してしまっているのでしょうね。そこで姿勢を正させながら「黙想、黙想」と繰り返します。ここまで30分強。教室内はシーンとしてきます。そこで、「君らは初めて独りになった。心の中は雑念、妄想、不平不満が溢れているだろう。それでいい。それらと向き合え。ものを考えるとはそういうことだ。姿勢を正し、呼吸を整え、目を瞑り、独りになった時初めてものを考える体勢ができる。それが出発点だ」と言います。あとは何を持ってきてもいい。「昔、ヨーロッパにデカルトという哲学者がいたよ。われ考う、故にわれありと言った。諸君らはそのデカルトが立った重要な立脚点に居るんだ」と言えばスーッと腑に落ちます。私は大学の授業は30分で充分だと思います。60、90分やっても残りは知識の切り売りをしているだけ。その1行に、親鸞、道元、五輪書、葉隠何を持ってきてもいい。すっと心に入る。これを小学生からやるべきで、家庭でもやって欲しい。病気なんて90%呼吸で治ります。呼吸というのはそれほど素晴らしいものだと思っています。
 以前、ヨーロッパの修道院巡りをやりました。泊りこんで向こうの修道士たちと話しましたが、カトリックの祈りでは背を丸めたり、胡坐をかいたり、柱に凭れたりとばらばらで、日本の僧房で修行する坊さんたちの姿勢と全然違いました。訊くと姿勢や呼吸は全く問わないとのことでした。
 事の善し悪しではなく、この彼我の違いです。姿勢と呼吸を通して知識、道徳観、世界観を伝え、教えてきたのが日本文化で、その基本を教える事が道徳教育の出発点だと私は思います。
三藤:有難うございました。呼吸と姿勢は武道でも重要な眼目で、ここでこの話題を広げるわけにはいきませんので、別の機会に譲りたいと思います。では大園先生お願いします。
大園:「葉隠」記録者の田代陣基が年長者だったので、道徳教育に関する記載は余りなく、あっても極めて当り前な内容が多いと言えます。江戸時代は今より共同体の紐帯なども堅固だったと思いますが、家庭を大切にと述べています。
夫婦仲の良さなども育児環境の意味で大切で、子育てでかりそめにも脅したり、騙したり、恐がらせるようなことをしてはならない、そういうことは「不覚のこと」だと言っています。強く叱ることも内気な子に育てるからよくないとあります。
 常朝の現役時代の仕事は、和歌好きの藩主光茂のために、古今伝授を得るため公家との中継ぎに当っていたが、その仕事の中で言葉が磨かれてきたものと思います。「葉隠」に「『我は臆病なり、其の時は逃げ申すべし、おそろしき、痛い。』などといふことあり。ざれにも、たはぶれにも、寝言にも、たは言にも、いふまじき詞なり。」(聞書1-118)言葉が心を牽引すると言いますか、子育ての心がけにも通じますが、精神の在り様として言葉を大切にしていました。
 道徳心との関連で言いますと、常朝は幼少期から20kmも離れた先祖の墓参りをさせられており、彼が尊敬する藩祖の言にも「子孫の祈祷は先祖の祀りなり」とあり、故人への尊敬、慰霊が道徳の基調にあるようです。実際に、100年前の先祖の功績で100年後の子孫の牢人が許されるというようなことも多々あったのです。祖先を祭り、先祖を考える事で、自分の人生の尺度が長くなり、文化の継承も行われたでしょう。直截道徳心を育てるという内容ではないですが、状況としてのそれと読めるかと思います。
三藤: 有難うございました。「葉隠」に見られる幼児教育の眼目、先祖への畏敬の念などに関するお話しを戴きました。では宮元先生お願いします。
宮元:山折先生のお話しに大学の授業は30分でいいということが出てきました。上手な人は出来るんだなあと思いました。(笑)呼吸を整えて心を安静にして…ということは、他分野では割と行われていることで、イチロー選手は必ずルーティーンをやってからバッターボックスに入ります。それは何故かというと心を整えるためです。特に研究したわけではありませんが、人間ピンチの時には多分呼吸が浅くなっているだろうと考えられます。そしてハーッと息を大きく吐くことでまた新しい清新な空気が入ってくる。武道は闘いの中で心を整えるための呼吸法が確立しているのではないでしょうか。
 さて、テーマですが、私には重過ぎますので、実際に体験したことをお話しします。
 私の公立大学では、学生が小・中学生を集め、地域の人々と一緒に体ほぐし運動をやっています。その結果、小学生は運動が楽しくなり、中学生は学生の説明や話をとてもよく聞きます。それは何故かというと小学生に教えたいからで、その相乗効果の中でどんどん伸びていきます。大学生は小・中学生たちが喜んでくれるので教える事が楽しく、ファミリーレストランなどで次回の打ち合わせを熱心に行っています。他世代と共に皆が成長し、これは総合型地域スポーツクラブの目標でもあります。武道でも、優れた技量を持った指導者の方々が、他世代を教える中で自分も成長していくことがあると思います。ですから道徳心というか、人間を育てるためには、人に教えさせる事だと思います。以上です。
三藤:有難うございました。人が成長するには他人に教える事だということを、体ほぐし運動の実例を挙げてお話し戴きました。
 私は武道学の立場から所見を述べます。
 武道の立場で言えば、指導者が道徳的な模範を示すことが何より肝要でこれ以外ありません。
 今、われわれは理想を見失っています。日本は政治・経済などあらゆる分野で責任を果たしていないので、指導者に対し敬意を持っていません。農耕社会では、経験豊富な年長者が偉く、尊敬されます。現代日本のような変化の激しい社会では、若者の方が優位です。管理職だと威張たって、最新電子機器について部下の若者に頼っているようでは尊敬されませんよ。
 今、社員の平均年齢の方がその会社の歴史より長いという厳しい時代です。
 昔の士農工商以来の終身雇用はいい制度でした。社会が安定していました。能力ある人たちの不平、不満はあったと思いますが、失敗が許されましたし、家門が継承されるため、自分は名誉ある死を選ぶことが出来ました。このような社会で共有されている死生観とは、見苦しい事はしない、道徳的に生きるで、それらが評価されました。
 今の武道は勝ち負けだけで見苦しい。徳川将軍家剣術指南役だった柳生家、その柳生新陰流の訓えに「昨日の我に今日は勝つべし」という言があります。敵ではなく、弱い自分に勝つのだという日々の向上を求めた内容です。
 武道は、例えば柔道は受け身から入りますね、つまり負け方を学ぶ道なのです。
 護身術なので先ず負け方を学び、その上で自分を鍛えていくのです。
 武道をやれば人生の失敗に向かう気力と術が身に付きます。指導者はそれを道徳的に教えなければいけません、勝った負けたではなく。指導の先生方はそれぞれ技術をお持ちですが、武道は陸上競技のような身体能力によるタイムレースではなく、相手がいますから心が重要です。「心・技・体」と言うように心の動揺が体の緊張を引き起こすと力があっても技が出ません。目は外を向いていますが同時に心の目は内を向いていて内省という事が起こります。武道はそういう術理を含みますが、話を戻しまして、指導者は小技を使って脇道にそれるようなことをしてはいけません。近道は危険な道です。それでは天下の大道は歩めません。基本を徹底してやる。それには一にも二にも指導者です。何も無い真っ白なところから始まるのですから、指導者がどういう目的地を見ているかです。それを誤るとこの間の万里の長城の事故のように危険なことになりますので、それなりの準備をして臨む必要があるんです。それが道場の稽古です。指導者は、人生の生きる道way of lifeとして、役に立つことを中心眼目において、正しいことを教えなければなりません。
 そして負けたらどうするか、正に「昨日の我に今日は勝つべし」です。強い相手には負けるし、試合でも最後に幸福になる者は1人です。その中で、自分の弱さ、欠点を知り、改める方法を教えてあげる。自学自習力を育てるのです。それが指導者の大切な仕事だと思います。子供たち、門弟の人生の充実を目標に掲げ、そのために役に立つような立派な指導を心掛ける必要がある。それには指導者の志、覚悟が重要で、すべてに優先します。これが人のエネルギーの源泉です。初めから勇気のある人間などいません。人間は自己防衛の生き物で、卑怯未練なことをしますが、少しでも勇気あることをすると勇気ある人になれる。実践が必要です。指導者が模範を示してください。
 それと子供を勝ち負けで選別しないで、その子に可能性を見出し励ましてやる。それは指導者の生きる姿勢で臨まないと駄目ですから、武道で学んだことを習慣にし、習慣になる程の事を武道で修業する。指導者自身が模範を示すことです。
 ここで丁度予定の時間になりましたので、この会を閉じたいと思います。
 では、ご出席の皆さまからご質問などを戴きたいと思います。こちらから指名致します。
 本日、遥々山折先生のファンという高校の校長先生がおいでになっていますのでご発言を戴きたいと思います。
参加者:たいへん貴重なお話を有難うございました。長年山折先生のファンで「悲しみの精神史」など読ませて戴きました。今のお話しで特に「義」「情」が大切という話が印象に残りました。呼吸や礼儀などにも話が及びましたが、端正さや礼は美に繋がると思います。「国家の品格」著者で数学者の藤原正彦さんは情緒力と言っていますが、これなど日本が世界に貢献できるものだろうと思います。これほど豊かな自然に恵まれた国は他に少なく、自然からも学ぶ姿勢が大事だろうと思います。そういう自然の中で培われてきた日本人の美意識その「美」が道徳心を形成し、情緒力となり、延いては相手の心が判る、思いやれる惻隠の心、そうしたものが教育の上で大切だろうと思いました。
三藤: 質問というより先生の決意表明のような内容でしたが、さきほどの山折先生のお話しで、「理非善悪」でなく、「情」だという内容に私も感銘を受けましたのでもし付け加える事があれば、先生、ぜひお願いします。
山折:「愛情」といって、「愛」より「情」が大切だという美意識、思想が日本文化にあったと思います。愛情というのは英語に置き換えられません、loveとは違い、食みでるものがあり、ここが重要だと思います。戦後の風潮は「愛」至上主義で、背後に“romantic love”の考え方があり、色々な凶事を乗り越えていくのは愛だという考えがありますが、日本文化に流れているのは愛情で、情なき愛は愛でない、情愛と、どこまでも情を大事にしてきました。戦後、情を切り捨て愛のみの教育できましたからここは問題だと思いますよ。
 それから自然に学ぶということでいうと、やはり道元の「春は花、夏不如帰、秋は月、冬雪さえてすずしかりけり」に見られるように、春夏秋冬に自分の人生や情を重ねて考える人生態度はたいへん厳しいものだと思います。
堀之内:私にも発言をお許しください。
三藤:これは失礼致しました。堀之内会長です。どうぞ。
堀之内:先程から大変有益なお話を伺っておりますが、われわれ戦前派にとっては常に教育勅語が心の中で繋がって来ました。それが昭和20年国会決議で一気に廃止されてしまい、以来日本の道徳教育はさまよい続けており、従ってこのような会で議論しなければならない日本の情勢なんです。芯の通った教育勅語のようなものがあればこの様な会は必要なかったんです。
 中国は、日本にあれほど傷めつけられたのに残留孤児を我が子のように育てました。これは儒教精神によるところでしょう。
 また戦後わが国は、フィリピン、マレーシアなどに5兆8,000億ドルもの賠償金を支払いました。これは1ドル360円のレートの頃ですから、どんなに巨額かお判りでしょう。日中戦争で被害を受けた中国からはどんな額が提示されるか、ところが中国の蒋介石は以徳報怨、徳を以って怨みに報ずと言って請求しませんでした。日本はこれに感激したんですね。そのあと出てきた毛沢東もこの考えを引き継ぎました。その精神を忘れなければ、尖閣諸島の問題も起きなかったと思うんです。それでわが国は北京の空港をはじめ、賠償に替わる援助をしてきましたし、満洲にも多くの遺産を残してきました。中国の近代化はそれらの上に達成されて来ました。そういうことも中国は忘れている。教育勅語「君に忠、父母に孝」古い、封建的と批判されるが、これに代わる道徳を確立するか、武道でそれを行うかしていかないと日本は何処かへ行ってしまうと思うのですが、如何なものでしょうか。
山折:教育勅語の問題はやはり1930年代日中戦争のイメージなどから、そのままでは受け入れにくいというのが正直なところですが、それに代わるものが必要だというのはその通りで、われわれ世代の責任として考えなければならないと思います。
 私は10月下旬中国・上海経由で武漢、辛亥革命発端の地ですが、へ参りました。そこの師範大というマンモス大学で、日本語を学んでいる学生400人、大学院生30人を前に日本と中国の価値観の違いを語りました。私が感銘を受けたのは、その時学長が最初と最後に挨拶をしまして、それは両国の間は領土問題によって険悪になっているがそういう時だからこそ文化交流が必要なのだ、この催しもその一環であるという内容でした。初めは中国式の「熱烈歓迎」かと思ったのですが、聞いていると段々この学長は全身を震わせて、情熱的に学生に語り始めました。私には新鮮な驚きで、今、日本の大学にこういう学長がどれほどいるかとすら思いました。武漢では反日運動は殆ど感じませんでした。地域差はあったと思います。
 その話の中で、私は日本の歴史を1,000年単位で考えると、中国の影響、恩恵を多大に受けたきたそういう伝統があり、それを大事にしたいと語り、今の政治家は明治維新以後のことしか問題にしないが、今こそ1,000年の歴史を振り返って考えるそういう態度が必要ではないかと思いながら帰ってきました。
堀之内:古くから人間形成の核は、「知・徳・体」と言われてきましたが、その徳の分野が欠けているのではないかという意見もあり、その通りなのか。また現行小・中・高の道徳教育で間に合うのか否か、聞かせてください。間に合うとしたらより、具体的現実的な、児童・生徒の心に染みいるような内容にしていかないと、日本の10年、20年先は覚束ないと私は思う。今、日本は産業構造の全分野に亘って落ち込み、それに伴って品格も悪くなっている。日本の落ち込みは経済統計からも明らかであるし、二重に行く末は暗いと思っています。技術を海外に奪われた現在挽回不能ではないかと思うんですが、それらについてお話を戴ければ。
山折:全く同感です。「知・徳」と言って「知」が優先していますが、「徳・知」であるべきです。それが出来るかどうかです。徳が第一に来なければいけない、そういう時代になりましたね。「知・徳」という限り、知育偏重、詰め込み主義は変わりません。大問題だと私は思います。
参加者:今日は貴重なお話を有難うございました。過去の懐かしい話もお聞きして、思い出も甦りました。躾が即ち道徳という考えでよいのでしょうか。
山折:岡潔という数学者がおりました。文化勲章なども受けております。その彼が晩年、人間が成長の過程の中で、どこで「1」という数字を知るか、発見するかという疑問を持ちました。試行錯誤を重ね、3人の孫を見守っていくと、個人差はあるが大体1歳半、18カ月で全身運動を始め、そこで「1」を知ると彼は言いました。あっと思いました。1歳半の段階は躾教育をするならすごく重要だなと思ったんです。1歳半は心理学でも、精神分析でも重要な時期だと言う人はたくさんおりましたが、この数学者の「1」をいつ発見するかという疑問は面白いと思い、心に留めておりました。その後、ヘレン・ケラーの伝記を調べなくてはならないことがありました。彼女は三重苦を乗り越え、見事な女性に成長していくんですが、一体いつそれらの能力を失ったかというと、生後19カ月目でした。既に彼女は「1」を発見していた、だからその後の教育によってあそこまでの能力を開花させることができたと思ったのです。数学的「1」の発見は1個の人間として宇宙、自然と一体化出来ているという感覚ですよね。自己自身の認識もそこから始まっているかもしれない。それから躾の根本は1歳半だと思うようになった。それから岡潔は「1」を発見したというが、私は同時に全体を発見したと思う。「1」を知り全体を知り、子供の全身運動が如何に重要であるか、これは心理学者も社会学者も言わないことですが、私は岡潔の発言を大事にしようと思っています。躾の根本ではないかと思っています。
三藤:良いお話でしたね。それでは時間も参りました。長時間ご清聴有難うございました。(拍手)

 閉会式では、甲斐藤昭(財)宮崎県スポーツ施設協会常務理事兼事務局長が挨拶に立ち、「貴重なお話を聞き、ここに来られたみなさんは貴重なお土産を貰った事と思います。それぞれの現場で活かしてください。私も66年の人生の中で本当にいい出会いが出来、いい話を戴いたと思っております」とのべ、次回へ向けた受講者増員の意欲を語って結んだ。